2008/07/18(Fri)制作に対する意識

はてブ数 2008/07/18 3:01 独り言 つーさ

書きたいことを書き殴っているので乱れていますが、読まれる方はご容赦を。

 土曜日のこと。サークルのOBの人がどかどかと来て、酒も交えて話をした。というよりも、ほとんど一方的に聞いてただけだけれど。

 作品に対する意識の話だった。先輩は憤っていた。自分は……。

 作品を作ることの目的は、自分いて何か自分の中に表現したいモノ・コトがあって、それを何かしらの形し、表現して伝えることにある。作品ってそういう順番だと思う。何かまず伝えたいテーマがあって、それが制作動機になるべきだ。それなのに、今のサークルにはそういう強い何かを持った人がいることを感じられない。そういうようなことを言っていた。
 例えば、私は曲を作る。たいていの場合は、まず自分がいて、何か自分の中の感情や世界観があって、それをアウトプットしたものが曲になる。そのとき、曲自体を作ることを楽しむのはもちろんで、かつそれで終わる場合もあるのだけれど。その気持ちだったり物語だったりを誰かに伝えたくなれば、サイトで公開する。まぁ、どちらかというと自己満足的な側面が強いかなと思うけど、やっぱり自分→世界→作品の順番は保たれている。
 ところが、私が所属するGSDにおけるゲーム制作の場面を思い起こしてみれば、必ずしもそうではなかったのかなと思う。「コミケに向けて」だの、「所詮大学のサークルだし」だの、「楽しめればいいんじゃない?」だの……。今までこのサークルで1年間とちょっと活動してくるうちに、どこかでそんなコトバを聞いて、それが制作に対しての自分の気持ちにノイズとして混ざってしまったのかな。いずれにせよ、感覚が麻痺しちゃってたんだな。
 そんな自分ですら、「今年のGSDは纏まりがねぇなぁ」と思っていたのだから、現状を目の当たりにした先輩が怒るのにも何ら不思議は感じなかった。というか、最初に書いたような"作品に対しての意識"を持った人であるから、むしろ当然のことのように感じた。憤り。やり場のない気持ち。それを抑えながら話す先輩の姿を見ていて、すごく申し訳ない、情けない気持ちになった。
 ……自分は「作りたいから作る」を知っていたはずなのに。話を聞いてるうちにだんだんと否応なしに、認識させられた。ああ、自分は間違っていたんだ。どこかに、置き忘れてきてしまっていたんだ。「作りたいから作る」「ジブン→サクヒン」という順序を。そう思うと……。
 何がゲ制とカレーのサークルだ。まったく笑わせる。お笑いもいいところだ。いや、まるで馬鹿げていてお笑いにすらならない。自分はこうやって、熱意のあった真面目なゲーム制作の現場を踏みにじってきたのだ。とても惨めな気持ちだった。悔しくて、悔しくて、部室を出て、外でこっそりと泣いたわ。ああ、畜生。

 それから1日2日考えて、サークルを辞めようと思った。それがいいんじゃないかな、と思った。先輩の使った「第三世代オタク」という言葉が何度も頭の中を行ったり来たりしていた。自分には、あるいは自分たちには、ゲームを作るなんていうこと、とても為し得ないんじゃないか。凹んだ。
 自分にとって「音楽=世界」だ。自分の中に構築される世界の表現、それが自分の場合は音楽だった。もし万が一それを仕事にして、期限に追われたらいいものはできそうもない。自由意志で自由にやるから納得のいくものができるんだと思う。というか、そうじゃないと自分は作れないのかもしれない。
 去年サークルでゲーム用のBGMをいくつか作ったけど、個人的に満足のいった作品なんて実は一つもない。QoFも黄金戦士も。至らない部分も多すぎるくらいにあったけれど、それでも、締め切りを大幅に破って迷惑を掛けまくったMoonGoddessのBGMの方が遙かにいいものができたと思える。
 プログラムだってそうだ。QoFのメインプログラムは俺がピエロのようにくるくる回ってコーディングした。プログラムを書き上げて、一応完成としたときの瞬間、達成感はあった。その後、バグフィクスや機能追加はあったけれど、
 今思い返してみると、俺がんばってるつもりで全然がんばり切ってなかったんじゃないかと思う。いや、作業時間的には限界だった。限界まで仕事した。けれど、した仕事の質はそんなに高くないんだ。当時のプログラミング技能がどうとかじゃなくて、意識の問題がそこにあったんだ。そのときの開発メンバでこれぞ最高と思っている人がいたら申し訳ないが、俺には「これは最高の作品だ!」と言うことは到底できない。この考えは今もそのときも同じなんだ。
 納得のいくモノが作れない。「カレーのサークル」なんて論外だけど、「コミケに向けて」も俺にはダメだと思った。そんなのダメだ、耐えられない。「作りたいから作る」「表現したいモノを作る」「遊んで欲しいアイディアを表現するために作る」。制作ってそうだろ?

 何もできなかった。3日間本当に何もできなかった。打ちのめされた気分で。大学にも行かず、だらだらとネットし、だらだらと寝、体の怠さと頭痛も抜けず、嫌な夢を見、金縛りに遭い、いくら寝ても睡眠不足で。自分の存在がいたたまれなくなって、自分なんか消えてしまえばいいのに、そう思った。気分がこんなに落ち込んだのは2年ぶりくらいだ。大学に入る前、NEETやってたころはよくこんな風に落ち込んでいたのを思い出していた。あぁ、出席数が……単位やべぇな(苦笑

 土曜日にそんなことが起こってから、体調はヘンなままだけれど、木曜日になった今日やっと気分の方はやっと回復傾向に向かってきた。本当は今日も大学休もうかとか暫く迷ったけど、何とか玄関出られてよかった。それはさておき、サークルを続けるか辞めるかはまだ迷っている。こんなタイミングでこんな記事書くのは夏コミ組には結構申し訳ない。
 この件を挟んで、あの場所が、部室が、今のままだったら……。きっと自分にとって純粋に楽しい場所ではなくなってしまうんだろうなぁと思う。というか、これは正直前々から思っていた。楽しくないんじゃやはり意味は薄いし、それどころか外野の自分が雰囲気をぶち壊してる気もするし、かといって、俺にあの場をまとめられる力量(というよりも熱意)はないみたいだし。纏まりのない時間、雰囲気がこのまま続いてしまうのなら、自分は焦って燻って楽しくない。それなら、辞めようかなぁと思ってはいた。一人で何もしないのに耐えられないんだ。
 ただ、逆に、今回の一件で、所属はしておいて、自分のやりたいことをやればいいのでは?という発想も出てきた。一人だからといって何もできない訳じゃない。もちろん、何かを共感できる人がいれば一緒に活動するのもいいと思う。というかサークルって本来そう言うもののハズだし。去年はいろんな条件が揃って、楽しく活動した。けど、毎期そうなるとは限らないのは仕方ない? のかな……? それは一つ、諦めることになってしまうのだけど。
 かつて、地元にいたときに、ある"表現者"のお手伝いをしていた時期があった。そのとき「よい作品を作るためには、自分の納得のいかないスタッフやキャストは切るべきだ」とかいう発言をしたのを今ふと思い出した。そのときは、人間関係なんかを無視して純粋に「作品」に向き合っていたからそんな発言もできたのだと思うけれど。最近は、そんなこと考えもしなかった……。サークルを続けるのか辞めるのか。このことを決めるには、もう少し、時間が要りそうだなぁ。

 いずれにせよ。
 いよいよ、何か作ってみたい。

 自分をリセットして。
 そうだ、腑抜けている場合ではない。
 がんばらないと。
 やっとそう思えてきた。

 ま、まずは落としかけている単位を拾いに行かないと^^^;;;;;;;;